セクハラおっさん連中から学べる、目指すべきおやじ像

最近堰を切ったように、自分の役を抑えられないおっさんが、セクハラをしては巷のニュースを賑わせている。

 

 

まあ昔からよくあった事ではあるのだろうが、ネットニュースやsnsの発達、社会の変化に従い、ハラスメント被害を訴える女性たちが次々と声を上げ始めた。

 

 

で、これらの状況を鑑みて思うのが、僕たちは将来、オヤジになった時に、変態オヤジと思われるのではないかとビクビクしながら女性と接していかなければいかないのか。はたまた、イケてるオヤジとして何不自由なく日々を送るのか。

 

ここで言う不自由なくというのは、セクハラと思われる事をしても訴えられないというのではなく、健全ながらも、女性と一定の距離は保ちつつ友好的な関係性を築くことが出来るということである。

 

 

最近のセクハラ事情としては、体を触った、直接的な性的発言を相手に言った、といったわかりやすいセクハラとは別に、女性が嫌な気持ちになり、それはセクハラだ!と言ってしまうと、それは立派なセクハラだというのだ。

 

 

だがこれは防げるセクハラ、または、セクハラとされないようにする事ができるかもしれないのではなかろうか。

 

 

例えば、会社のハゲた太った上司が、「最近痩せたね」と言えばセクハラと捉えられることもあるだろう。だが、キリッとした小栗旬のような頼れるイケメン上司がふとした時に、痩せたねと言えば女性は「そうですか!?」と、多分なるだろう。

 

だが、普段から良い関係(仕事上で)のハゲた上司が痩せたね、と言えば、セクハラだと言われる可能性は、前者のハゲ上司よりも低くなるかもしれない。

 

また、プライベートでしつこく君と会いたい、好きだなどの連絡を送るイケメン上司の痩せたね発言は、もしかすると我慢ならなくなった女性ならばセクハラ宣言を発令するかもしれない。

 

 

何が言いたいかというと、会社などでの上司、部下の関係性よりも、人と人との関係性、ひいては男と女の関係性が、暗にセクハラ事情を操っているのかも、ということだ。

 

 

つまりは、モテる男は訴えられにくいし、信頼された男は訴えられにくいという仮説である。

 

これは社会の変化云々ではなく、生物としての根本的原理みたいなものが、透けてみえてくる。

 

だが、モテているが信頼されていない、となると話は変わるだろう。

 

信頼というのは現代社会で非常に重要な資産であるからだ。

 

一方で、ゴリゴリに信頼された非モテ男ならば、どこか救いようがあるかもしれない。

 

モテようとなると、一筋縄ではいかないが、信頼というものは、モテに関係なく少しずつ構築出来るものである。

 

信頼の厚いモテ男は最強なのだが、信頼の厚い非モテ男でも、自ずとその信頼という武器が、非モテ感を少しずつ緩和させるように働くならば、僕たちがまず目指すべきは、信頼を勝ち取ることだろう。

 

まあ、当たり前の話になってしまったが、単に信頼を勝ち取るだけではおそらく十分ではない。やむを得ないセクハラ宣言を未然に防ぐ為に出来る事は他にもあるだろう。

 

 

"続く"